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2025年9月第5週と10月第1週の編集人コメント

 

「4. AI時代、体験が本物のプロダクト」は、AIが普及し知能そのものが「インフラ」化する時代、競争優位の源泉はもはや技術ではなく「体験」に移っているという論考である。

巨大言語モデル(LLM)はオープン化と低コスト化が進み、差別化は著しく難しくなった。AIが誰でも使える“公共財” ― すなわちコモディティとなる中で、鍵を握るのはユーザーがどう感じ、どんな体験を得られるかである。

優れた体験を生む要素として、著者は次の三点を挙げている。
① インターフェースの進化:ChatGPTやCursorのように、同じ基盤技術でも直感的で使いやすいUIが成功を左右する。

② 記憶によるパーソナライズ:AIがユーザーの嗜好や履歴を学び、先回りして提案する“記憶型UX”が新たな価値を生む。

③ エージェント化:AIが提案だけでなく、予約や購入、スケジュール管理まで自動実行する「行動主体」として進化する。

結論として、これからの時代に勝つのは最良のモデルを持つ企業ではなく、ユーザーに「理解され、支えられ、安心できる」と感じさせる体験を提供できる企業である。

言い換えれば、AI時代の真の“製品”は体験そのものである。

当初、この「テクノロジーが差別化要因ではなくなった」という主張には、正直なところ違和感を覚えた。特に“眠れる30年”を経た日本では、依然として「技術立国の再生」や「イノベーションによる競争力回復」が政策の柱とされており、「技術がコモディティ化した」と言われても簡単には受け入れがたい。

 

しかし再読してみると、著者のR. Kumar(インドの旅行テクノロジー企業Ixigoのグループ共同CEO)が言う「テクノロジーが差別化要因ではない」とは、技術が不要になったという意味ではなく、基盤技術 ― とりわけAIの知能部分 ― が誰でも使える共通インフラとなったという指摘である。

つまりここで言う「技術のコモディティ化」とは、AIという“知能”が電気やインターネットのような汎用インフラに変わったという意味だ。

AIがインフラ化することで、旅行流通の構造は根底から変わり始めている。

かつてOTA(オンライン旅行代理店)やメタサーチは、検索アルゴリズムや在庫接続の最適化によって優位を築いた。しかし、生成AIとエージェントAIの普及によって、その優位は急速に薄れている。AIが旅程設計・予約・決済・サポートを自律的に行う時代において、ユーザーはもはや「どのサイトで予約するか」を意識しない。「どのAIに任せるか」が意思決定の中心になる。

 

この構造変化こそ、PhocusWireが指摘する「体験が新たなモート(防御壁)になる」現象の旅行版である。
すでにHopper、Expedia、Booking.comなどは生成AIを活用したパーソナルアシスタントを実装している。
これらのAIは単なる検索補助ではなく、ユーザーの嗜好・予算・過去の行動を記憶し、“次に何をすべきか”を提案する存在へと進化している。

一方、中国のFliggy(アリババ系)やTrip.com、百度系のErnie Botも、同等レベルのAI機能を自社アプリに統合し、圧倒的なスピードとコスト効率で展開している。

 

AIモデルの性能差が消える中で、勝敗を分けるのは「どの国が、どのプラットフォームが、最もユーザー中心の体験を再設計できるか」である。

将来の旅行者は「検索する」よりも「話しかける」。

「いつ東京に行くのが安い?」と尋ねれば、AIが航空・ホテル・交通・為替・混雑予測を統合し、最適な旅程を提案する。その瞬間、旅行商品の価値は“検索順位”でも“ブランド名”でもなく、会話体験の快適さと信頼性に置き換わる。

 

AIが「旅行流通の顔」となるのだ。

この流れの中で、OTAや航空会社、ホテルチェーンが生き残るためには、「AIを導入する」ことではなく、“AIを介してどんな体験を提供するか”を定義し直す必要がある。予約の効率化ではなく、滞在前後の関係性をどう深めるか。個人の好みをどう記憶し、次の旅へつなげるか。それが新しいロイヤルティ(忠誠心)の源泉になる。

AIコモディティ化の時代、旅行流通の勝者はもはや“最安値を見つける企業”ではない。

 

ユーザーに「自分をわかってくれている」と感じさせる企業である。

AIが知能を提供し、人間が体験を設計する ― その協働こそが、ポストOTA時代の旅行ビジネスを形づくる。

体験設計は、旅行企業の経営戦略の中核そのものになる。すなわち、「パーソナルな旅行体験」を、さらに一歩進めた“ハイパーパーソナルな旅行体験”を、提供できるかどうか ― そこに企業の優勝劣敗がかかっている。

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